このワインについて
セパージュ(カベルネ・ソーヴィニョン85%、カベルネ・フラン15%)
カベルネソーヴィニヨン特有の濃い色調と、熟したカシスの風味、2年間フレンチオークの小樽で熟成させたスパイシーな風味が楽しめ、口中に広がる果実味は圧巻!
【サッシカイア誕生物語】
話は、このサッシカイアを世に送り出しているニコロ・インチーザ侯爵の父の競馬好きに始まります。 ニコロの父はなんとイタリアワインが嫌いで、大のボルドーワイン好きでした。
第二次世界大戦が始まり、敵国であるフランスのワインがイタリアに入ってこなくなってしまいます。 そこでニコラの父は、こうなったら自分でボルドー風のワインを造るしかないと決心し、競馬友だちであるシャトー・ラフィットのロスチャイルド男爵に相談しました。 男爵はシャトー・ラフィットのカベルネ・ソーヴィニヨンとカベルネ・フランの苗木を送ってくれました。 そして1944年、この苗木をボルゲリの東側にある高い丘の斜面に植えました。 これが、偉大なるサッシカイアの始まりなのです。
しかし、出来たワインはおいしくなかったのです。 おまけにニコラの父はボルドーワイン好きにもかかわらず、醸造法もトスカーナ風にこだわる上、ワインも地元の人に造らせていました。 やがて戦争も終わり、再びボルドーワインが楽しめるようになると、ワイン造りへの興味も遠のき、ワインは自家消費用としてのみ造られ続けました。
ところが、最初は「渋い、まずい」と不評だったワインが、だんだんと「おいしい」と言われるようになります。 そうです。長年カーヴで熟成されたワインが、まるで別物のように変貌したのです。 それに気づいたニコラの父は、再びワイン造りに情熱を傾けるようになります。
1965年、新たに低地にもぶどうを植えます。 そこは以前から地元農民が「サッシカイア」(石ころだらけの土地)と呼んでいた、大きめの小石で覆われた畑だったのです。だから、この「サッシカイア」をワインの名前としたのです。
しかし、ニコラの父はこのワインを商売にしようとは思いませんでした。 「サッシカイア」が今のような形になったのは、1968年父に代わってニコラが経営をするようになってからのことです。 そして「サッシカイア」は1968年ヴィンテージから広く世に知られるようになりました。
世に出てからの「サッシカイア」のすごさは皆さんも知るとおり、世界中から絶賛されたのです。 そして、この「サッシカイア」はイタリアワインに多大な影響を与え、伝統に固執しない最高の品質のワイン、いわゆる「スーペル・トスカーナ」(スーパー・タスカン)という新しいジャンルをも造ってしまったのです。
その功績ゆえ、1994年には異例の単独ワイナリーのアペラシオン「DOCボルゲリ-サッシカイア」が認められました。 つまり、「DOCボルゲリ-サッシカイア」という格付けされたワインは、この「テヌータ・サン・グイード」のワインにしか認められないのです。 単なる「IGTワイン(地ワイン)」が、イタリアのワイン法までをも動かそうとしている、まさに「スーパー・ワイン」といえるでしょう。
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